ザラツキカワラタケ

2008年08月26日



我が家の庭には、街中なのに毎年違ったキノコが発生している。
なぜ、毎年違ったキノコなんのか不明だが、今年も発生した。
図鑑を見ると「ザラツキカタワタケ」、3Cmくらいの大きさで、毒キノコだ。
ニセショウロ科の仲間のようだ。
もう10種類くらいのキノコが発生しているが、食べられそうなキノコも生えたりもする。
こんなものが発生するならば、トリュフでも発生してくれないものかな・・・

野鳥も各種来訪してくれる。
キジバト、ヒヨドリは常連様。
ヒヨドリなどは、巣までつくり、ヒナを育てている。
季節には、メジロ、ウグイス、シジュウカラ、ゴジュウカラ、ヤマガラ、モズ、ヒレンジャク。
川の近くでもないのに、セグロセキレイ、キセキレイ、も来たりする。
ヒヨドリなどのウンチからは、ナンテン、センリョウ、マンリョウなども自生している。

今までの一番の来客は、リスだった。
どこから間違って来たんだろう?
大量に実った、エゴの木の実を食べていた。

夏が終われば茸の季節がやってくる。  

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男はつらいよ

2007年11月12日



「男はつらいよ」のDVDボックスがブックオフで10万円で売っていた。
直ぐには買えない値段なので、迷っていたら売れてしまっていた。
寅さんには根強いファンが大勢居るようである。

49話もあると、寅さんや、さくら、おいちゃんおばちゃんが実在の人物のように錯覚してしまう。
山田洋次の映画は、画面の端々にチラリと映される小道具にさえ気を抜かない、隙の無い映画だ。
床の間に置いた北海道土産の木彫りの熊とか、テレビの上にある人形とか、下町の家庭ならば「さもありなん」と思わせる小道具も、寅さんの映画にリアリティを与えている。
画面に映しだされる町の風景や路地裏や空き地に、小さな問題を抱えながらも慎ましく生きている、そんな庶民のささやか生活が映し出され、自分たちの生活と重ね合わせたりするのだ。
また毎回、日本の旅の情景が見られるという旅番組的魅力もあったりする。

30代の時に日本中を回ったりした。
寅さんのように汽車ではなく自動車でだが。
沖縄と北海道を除いて、通り過ぎただけの県もあるが、ほぼ全県回ったと思う。
革の鞄には着替えのTシャツや温泉用のタオルを入れてあった。
写真は、その時使っていた鞄と帽子。
予定などないので、今日はどの方面に車を走らせよう・・・などと、気ままな旅だった。

深夜に道に迷って、明かり一つもない田舎道を走っていくときの心細さといったらない!
深夜走り続けたあとの朝焼けの光は、命の息吹を感じさせるのに価する輝きである。

また、そんな旅に出かけてみたい・・・・  

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昭和のある風景 外国テレビドラマ

2007年11月01日



少し昔のことだが、アイ・ラブ・ルーシーのバービーが500円だったので買った。
特にバービーを収集しているわけではないが、ルーシー・ショーが懐かしくて購入してしまったのだ。
外国コメディ番組は、家族全員が好きだった。
いや、コメディだけだはない、ミステリー・ゾーンやララミー牧場、スーパーマンなど、家族全員で見ていた記憶がある。
じゃじゃ馬億万長者、突撃・マッキーバ、スーパーカー、ハイラム君漫遊記・・・
テレビ番組が外国テレビ映画で賑わっていた時代だった。
やはり家族全員で見た、アニメも外国製だった。
フェリックス、空飛ぶロッキー君、珍犬ハック、クマゴロー、マイティー・マウス、どら猫大将、ディック・トレーシー、、ポパイ、キャプテン・ゼロ、マイティー・ハーキュリー、ジョニー・クエスト・・・・
味の素のキャプテン・ゼロは、口だけ動くアニメだった。
今でも、全部歌えるほど、これらの歌の歌詞を覚えている。

人形劇の「スーパーカー」は、水陸両用の未来の車が何事件を解決するという、サンダーバードの前身のドラマだ。
このスーパーカーのプラモデルを作り、風呂場で遊んだりもした。
そのプラモは、陸上も走るし水の上も進む優れ物だった。
潜水艦や船のプラモデルは、必ず風呂場に水を張って遊んだものだ。

和製のドラマやアニメやヒーローものが作られるようになると、外国製のドラマは当然ながら減っていったが、その後も外国製のドラマを良く見た。
今でも、外国製のドラマが好きである。
最近は、深夜遅くしか放映されてないが、それでも良い作品があるので見たい気持ちは今も同じだ。
  

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「COM」の頃

2007年10月30日



中学1年生になった頃「COM」という漫画雑誌が発行になった。
漫画家養成雑誌みたいな本だった。
手塚治虫や石森章太郎、永島慎二など漫画家が執筆されていた。
あまり売れていないころの松本零士なども載っていた。

中でも、一般から作品を募集したコンテストが1番興味があり、中学生の分際で何度も応募したものだった。
たいていは番外の「もっと勉強を」というランクだったのだが、一度「佳作」になり、堂堂と名前が掲載されたことがある。
名前だけだったが、誇らしい気分で一杯だった。
1席や2席になると、作品が全編掲載されるのだが、それが漫画家志望の中学生にとっての夢であった。
結局、投稿作品の水準がしだいにレベルアップしてゆき、中学生程度の実力では太刀打ちできない環境になっていったのだった。
実際のところ、ほとんど賞をかっさらう作家は、一流漫画家のアシスタントなどで腕をならした人物ばかりだったようである。

「COM」と同等、もしくはそれ以上かもしれない「芸術漫画雑誌」の「ガロ」という月刊誌があった。
シュールな作品が多く載っていて、見るだけで漫画の芸術的可能性を信じるに事足りるものがあった。
南伸坊 や赤瀬川源平、あのつげ義春などもガロ出身者である。

学校から帰る時間は、もう夕暮れ時になってしまう。
鞄を家に置き、近所の本屋はCOMを買いに行く・・・
小さな本屋には、COMとガロが並んで置いてあり、COMを買ったあとはガロの立ち読みをした。
2冊は高くて買えないのだ。
夕焼けの赤い色に染まった国鉄の陸橋を眺めながら家路に急ぐ中学生の目には、岐阜の町はワンダーランドに思えた。

最近はコミックなど読みもしないのだが、あの頃の「芸術的漫画」はどこへ行ってしまったのだろうか。
今も、あの頃のような勢いで出版されているのだろうか、それとも絶滅してしまったのであろうか。
まぁ、知ったところでどうするわけでもないので、このまま思い出のままにしておこう・・・・
  

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黄昏色のガラス瓶

2007年10月29日


自宅で髪の毛を適当に散髪するので、もう床屋と言う所には30年近く行っていない。
1回の散髪料が平均2千円として考え、1年に6回床屋に行くとして、1年で1万2千円。
それの30年分として、36万円の家計的経済効果があるはずなんだが・・・・・

床屋の黄昏色のガラス瓶には、髭や顔を剃るための剃刀が入っていたと思うんだが、実際には何が入っていたのか思い出せない。
しかし、黄昏色のガラス瓶の透きとおった青色だけは潜在意識の奥底に鮮明に刻まれている。
あの青色のガラス瓶にはトワイライトそのもが密封されている用に感じる。
昼と夜の間の理性と幻想の隙間にある、たそがれ時の不思議な感覚・・・・

青色のガラス製品を見かけると、ついつい買ってしまう。
100円ショップのコップとかお猪口とか・・・・(貧乏人だ)
10年ほど前には、スポーツ飲料のビンが青色のガラス瓶だったので、たいして美味くも無いスポーツドリンクをガラス瓶欲しさに結構飲んだ。

自分にとってはかなり高額と思える黄昏色のガラス瓶に入ったエッセンシャル・オイルも、たくさん買ったように記憶している。
あのオイルは、いい香りだった。
特にペパーミントの香りを嗅ぐと、何故か昔を思い出す。
具体的に何かを思い出すというわけではないのだが、何故か「懐かしい」のである。
私の個人的な事柄に関係しているのだろうか、それとも万人に共通のものなのだろうか・・・
臭覚は、生命の生存に直接関わる感覚器官だったので、脳細胞を直接刺激するようだ。
だから、きっと、具体的な事項ではなく漠然な「感じ」として何かが甦ってくるのかもしれない。
ペパーミントの香りは、ノスタルジイの香りだ。
  

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昭和のある風景 プラモデル

2007年10月22日


子供の頃は、よくプラモデルを作った。
TVに出てる鉄人28号や鉄腕アトムなどの漫画の主人公や乗り物も多かったが、戦時中の飛行機や戦車もあった。
ゼロ戦や飛燕や紫電、ドイツやイギリスや自衛隊の戦車、よく作ったもんだ。
時には、自分一人では作れなくて、親に手伝ってもらった楽しい記憶・・・
昔はプラモデルといえば、マブチ・モーターで動くものが普通のプラモデルだった。
今のように、飾るだけのフィギアとは全く異なる。

未来の乗り物や、ロボット、怪獣にいたるまで、動かないプラモデルはプラモデルじゃなかったのだ。
ビッグX、V3号、カネゴン、ゴメス、ゴジラ、サブマリン707、スーパーカー・・・・
モーターの無いものでも、ゴム動力で動いたりした。
豆電球で目やライトも光ったり、叫び声や煙のようなものまで出るプラモデルもあったのだ。
「サイボーグ」とかいうロボットのプラモデルは、手を振り首を振り足の膝を曲げながら歩く、今のロボットに近い優れものだった。
サービス満点で、子供心を飽きさせないギミック満載のプラモデルだ。
物を作る喜びは、プラモデルで養われたような気がする。
  

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昭和のある風景 夜と万年筆

2007年10月20日


学生の頃は、とりつかれたように良く深夜放送を聞いたものだ。
「オールナイト・ニッポン」「ミッドナイト・東海」「走れ歌謡曲」「チャチャヤング」「パックインミュージック」etcetc・・・・
「オールナイト・ニッポン」「ミッドナイト・東海」「走れ歌謡曲」は良く聞こえるエリアだったが、「チャチャヤング」「パックインミュージック」は聴くのに苦労と一寸した技術が必要だった。
放送圏外の「チャチャヤング」や「パックインミュージック」を聴くためには、微妙なダイアル合わせを習得しなければならない。

しかし深夜というのは、勉強するためなのか深夜放送を聞くためか判らない時間帯だった。
オールナイト・ニッポンのハーブ・アルパートとティファナ・ブラスの「ビター・スゥィート・サンバ」が聞こえ、糸居五郎の「Go! Go! Go!!! And Go's On!!」の決まり文句が聞こえると、勉強の手を休めてその音楽に聞きいった。
糸居五郎のオールナイト・ニッポンでは、大人の音楽というものを学んだような気がする。

走れ歌謡曲の「口笛天国(Whistling Jack Smith)」が聞こえると、もう朝は近かった。
夏だったら、もう外は白みかけている時間だ。
エンディングのレターメンの「ミスター・ロンリー」が聞こえると、本当に切ない気分になったものだ。

関西の深夜放送を聞くのは中々大変だったが、フォーククルセダーズの3人がDJをやっていた番組を聴きたくてダイヤルを微調整し続けた思い出もある。
ナチチャコの声を聞くのも周波数合わせに神業を必要とした。
チャコこと白石冬美には、1971年の中津川フォークジャンボリーでインタビューを受け、実物に出会ったこともあった。
ナチさんは声優の野沢那智さんのことで、0011ナポレオンソロのイリア・クリアキンの声やアランドロンの吹き替えで有名な方である。

東海ラジオの深夜放送に「ミッドナイト・東海」がある。
当時のDJは、森本レオ、りこたん・天野鎮雄・あべ静江・蟹江篤子などだった。
アナウンサーの蟹江篤子さんの放送では、「朗読コーナー」という企画があり、視聴者の自作の小説などの投稿作品を朗読してくれた。
私の小説も、ここで朗読され本になって出版された。
「夜と万年筆」、この本が私の唯一の小説を掲載した本である。
この時、蟹江篤子さんのサインと共に東海ラジオの万年筆もいただきました  

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縁日の思い出

2007年10月18日


昔の縁日には「見世物小屋」があった。
シャム双生児とか、ろくろく首とか、蛇を飲む女とか、小人とか・・・・
子供心には、それはもう凝縮された恐怖のような見世物なのだった。
シャム双生児と呼ばれる者など、本物なのか作り物なのかわからなかったが身の毛もよだつ光景だった。
子供の見識にとっては、本物も偽者も似たようなものだ。
今見れば他愛ないオブジェなんだろうが、「奇形」というだけで気味の悪さを醸し出しているのだった。
蛇を飲む女は本物の蛇をかみ殺し食う見世物芸のひとつらしいが、実際は作り物の蛇を口に入れているのかもしれない、しかし不気味さには変わりはない。

縁日では、パチンコをするのが楽しみの一つでもあった。
今では大人の遊戯具なのだが、当時は子供のゲームだった。
スマートボールも楽しかった。
一列に白いガラスのボールを並べるのは、子供にとっては結構至難の業だ。

賭けゲームのようなものもあった。
くるくると矢を回し、回る矢が止まった商品が貰えるというゲームなのだが、その矢は的屋のオヤジが足でコントロールして、高価な商品に矢が止まらぬように細工してあるのだ。
後ろで見ていて、それを発見したときに、もう2度とそのゲームはやらなかった。
今なら、詐欺で逮捕されるかもしれない。

芋飴というものもあった。
小豆餡の代わりに、サツマイモで作った餡が薄い飴に包まれ、割り箸の先に直径3Cmくらいの玉状になっている菓子である。
物資が無いころだったので、小豆の代わりにサツマイモを使用しているのだろうが、これが結構美味いのである。
どこかで、もう一度食べてみたい食品である。

「りんご飴」というものが出始めたもは、小学生の終わり頃だったろうか。
あの赤いりんご飴を食べたときは、こんな美味いものはない!と感動したものだった。
あのりんご飴を見たのは、外国TVドラマの「パパは世界一」や「突撃マッキ-バ」や「じゃじゃ馬億万長者」の、遊園地などの場面で見かけた。
後に、バナナ飴や、イチゴ飴や、ミカン飴なんども出てきたが、りんご飴が一番美味い!

今も、天神様の境内では縁日が開かれてはいるが、あの当時のような怪しげで胡散臭い雰囲気は微塵もない。  

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昭和のある風景 夜汽車のブルース

2007年10月16日


その昔、JRのことを国鉄と呼んでいた。
30数年前は、まだSLも現役で走り、近くの町へ行くにも旅気分を味わえたりした。
走るSLの開いた窓からは石炭の燃焼する燻ぶったような匂いが入ってきて、否応なしに旅情を掻き立ててくれた。

国鉄の駅近くに建っている我が家は、深夜になると汽笛の音が良く響いて聞こえたのだった。
よく深夜に電気を消して、その汽車の走る音を聞いていたりした。
ピッィ~~!と遠くからか細く聞こえる汽笛の声を聞くと、なんだか懐かしいような哀しいような、とても切ない気分にさせられたものだ。
ガタンゴトン・ガタンゴトンと汽車が枕木の上を走る音も遠くの町の風景を夢想させてくれたりした。
あぁ・・あの汽車の終着駅にも、人々の生活が営まれているんだなぁ・・・などと空想をかきたててくれた。

用があって夜汽車に乗った時など、窓の遠くに見える家々の明かりをながめていると、どうしようもなく切なくなってしまうことがあった。
まだ人々の生活が、都市や町にも生き生きと存在していた頃のお話ではあるが・・・
今でも夜の電車に乗って街中を駆け抜けていく時はあるが、明かりが氾濫しすぎた不夜城の都市には慎ましやかな人々の生活感は伝わってこない。

(写真は40年ほど前に岐阜駅構内で撮影した当時のSLの写真)  

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昭和のある風景 街灯

2007年10月14日


昔路地の明かりといえば、電球の街灯しかなかった。
薄暗い路地を照らす明かりは、蛍光灯ではなく電球の光だった。
蛍光灯の白い光ではなく電球の黄色い光は、なんだか物悲しい風情をたたえながら暗い路地裏を照らしていた。
蛍光灯のように街灯の付近を全体に照らすのではなく、電球の光はスポットライトのように凸凹の土の地面を照らしているのだ。
暗闇から暗闇に移動する、一瞬だけ街灯に照らし出される人や野良犬は、舞台の主人公のようでもあった。

電球のあのオレンジ色の光は、なぜか温かみがある。

黄昏時に、窓や玄関から漏れる電球の明かりは、「ここでも生活が営まれている」という暖かいような「生活臭」を感じた。
どうしてか、蛍光灯の白い光は、この生活の切ない愛くるしさを感じない。
明るすぎるせいだろうか・・・?

電球の光さえない真っ暗な町というのも昭和的な風景である。
月明かりに照らし出された町の家々のシルエット・・・それは明かりが氾濫した現代では、もう見る事もできない日本の風景である。

以前、町中が数分間停電になった事がある。
道に出て見ると、明かりがまったくなく、月明かりだけが白く光っていた。
「子供の頃と同じ風景だ」・・・そう感じて、無性に懐かしい気分になってしまった。  

Posted by さかいほういち at 09:40Comments(3)TrackBack(0)昭和のある風景