風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その5

2007年11月25日

風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その1
風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その2
風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その3
風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その4



風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その5

昨日知り合ったばかりの友だというのに、別れはなんだか寂しい。
19号台風で体育館に避難した時に知り合った友。
皆生温泉や麓の森の中で、一緒に歌を歌った友。
同じ19号台風の風に吹かれて大山山麓に偶然に集まり、同じ時間を過ごした友達。
コンサートは終わったが、妙に後ろ髪引かれる思いで一杯になっていく。

中上さんは、主催者のガンノスケと別れを惜しんで抱き合っている。
俺も、この3日間で知り合ったあいつやこいつと、固い握手を交わしていた。
「また、どこかで会おう!」
「またなっ!」
「それじゃ!」
多くを語る言葉はないが、別れの物悲しい気分は皆一緒だろう。
握手をした手には「この人に幸あれ」と心から願うヴァイブレーションが伝わっただろうか。
ただ今は、別れ行く良き人達の明日に幸多かれと願うばかりである。

大山のコンサート会場の駐車場からは、日本中から来たであろう人々が岐路につくために車を発車させている。
少し軽くなったピースアイランドの軽バンのギアを入れ、俺はアクセルを踏んだ。
ガタンガタンと揺れながら、我々は一路岐阜へと帰途につく予定であるが、我々の事である、どうなるか判らない。

夢のような3日間だったと思うが、過ぎ去った時間は現実でも夢でもたいして変わりは無いと思える。
グルグルと山道を下りてゆく車の窓からは、19号台風の爪痕といってもよい光景が、そこここに見受けられた。
倒れた松の木、泥だらけになって潰され折れた看板、高い木の上に引っかかった紙屑・・・・・かなり勢力の強い台風のようだった。
そんな台風の中、軽のバンを何時間も走らせて旅をするだの無謀という他はないのだが、その無謀さに快感を憶えてしまうのも青春の嗜好性である。


海沿いを軽快に走って行くと「ハワイ」の文字が目に付いた。
一昔前の純喫茶のような風情の「喫茶ハワイ」、木造の白いペンキも剥げ落ちた「ビリヤード・ハワイ」、懐かしい赤と青と白の看板の螺旋の円筒がクルクル回る「バーバー・ハワイ」。
「ここは、ハワイか?」俺は笑いながら言った。
「ワイキキが見えるかもな!」中上さんは、笑いながら答えた。
そんな昭和的風景の中を、しばらく走ると大きなアーチ状の門が目に入った。
『歓迎!羽合温泉へようこそ!』
そこは「羽合」と漢字で書く、紛れも無く正真正銘の日本の温泉郷だった。

「温泉・・行くか?」
「う~ん・・・どうしよう・・」
「時間が無いしなぁ・・・」
などと言ってるうちに、通り過ぎてしまった。
心残りな温泉だった。



そんなこんなで、また車を走らせると、「ようこそ鳥取砂丘へ!」の看板が目にはいった。
ここまで来て観光しないで帰るのも口惜しい、ということで鳥取の砂丘に拠ることになった
駐車場に車を止め、海を眺めようと、広大な砂の高原とでも言うべき平坦な砂丘を進んでいった。
だらだら歩いていくと、海岸近くには砂が風で集められ、小高い山のようになっていた。
そこには見慣れた顔が数人見受けられ、相手も手を振りながらこちらに向かって何か叫んでいる。

「お~~~いっ!」
「お~~いっ!」
こちらも他を振りながら答えた。
「やっぱり、来たんやね!」陶芸家の大沼なんが、砂の山の上で笑っている。
その隣は、三流ミュージシャンの横井君と真野君が笑っていた。
周りには、見た顔が数人こちらを見て笑っている。
「誰でも、考える事は同じってことか」俺は笑いながら独り言のように言った。

小高い砂の山から見る日本海は真っ青で、空と海とが世界を2分割でもしている感じだった。
風が強く、この風が砂をここに集めて砂丘を作っているのだ、という事を実感させてくれた。
沖には、鯨のような形をした小さな島も見える。
「泳ぎてぇ~!」大沼さんが大声で叫ぶと、いきなり海の方へ走っていった。
それに釣られて、我々全員が小高い砂の山を駆け下りていったのだった。
小高い山とはいえ、10メートルちかくはあるので、走るというより殆んど滑り落ちるといった感じだった。
サラサラと砂とともに滑り落ちる感覚は、あそこでしか味わえない快感だ。

砂の山を駆け下り、あっという間に大沼さんは素っ裸になり、ザブンと海の中にダイビングした。
続けて数人が服を脱ぎ散らかし、綺麗でもないお尻を丸出しにして、ザブリと海に入っていった。
中上さんも、いつの間にか素っ裸になり、海の中で泳いでいる。
「では、俺も・・」という訳で、俺もTシャツを脱ぎ、ジーパンを脱ぎ、パンツを脱ごうと思った。
が、しかし、人に自慢できような裸体ではないので、パンツだけは穿いて海に入っていった。

台風の影響がまだ有るのか、あるいは、いつもこのように波が高いのか分からないが、鳥取砂丘の海の波は高い波が押し寄せては返している。
観光客が少ないのでよいが、きっと素っ裸での海水浴は禁止であろう、いや、ここの砂丘で泳ぐこと自体が禁止だったかもしれない。
しかし、もう勢いで泳いでしまっているので、誰も止めようもない。
やはり台風の影響があるのだろう、時折大きな波が不規則に押し寄せてくる。

不意に、背の丈より大きな波が連続して俺の所に襲ってきた
「あぅ・・・!!」俺は、波に揉まれながら、顔を波の上の出し息をした
瞬間、不意打ちの波に顔を強く打たれ、掛けていたサングラスが波に浚われてしまった
「ああ・・サングラスは・・どこ・・?」といった感じに動揺したが、素早く海に潜り、眼鏡を捜した。
運良く、水中で目を見開いた方向に、眼鏡が水母のようにプカプカと沈みかけているのが目に入った。
俺は、とっさに眼鏡に手をやり、しっかり眼鏡のフレームを掴んだ。
その瞬間に、また立て続けに大きく強い波が、俺に襲い掛かった。
一瞬、体全体が波に飲まれ、水中で1回転してしまった。

「ゲッ・・!」俺は、海水をしこたま飲み込んで口の中が塩分で鹹くてしょうがない。
「死ぬかと思った」そう呟いている俺の下半身が、妙に軽い。
ハッとして、下に目をやると、案の定パンツが無いのである。
当然のことながら、遊泳用の海水パンツのゴムより、通常のパンツのゴムは緩く出来ている。
普通のパンツのゴムは、水中の浮力や圧力には無力で弱いのだ。
眼鏡は助かった、がしかし、不運にもパンツは波に浚われ、波に揺られ、どこか見知らぬ遠き島にでも辿りつくことだろう。
結局、全裸になってしまったので、最初から素っ裸であればよかったのだと、俺は強く思った。
時に羞恥心は、予測もつかない事態を引き起こすようだ。

それから、しばらく海水浴を続け、海から這い出て、そのまま服を着て、砂の山を登った。
砂の山の上りは、砂に足を取られ、登りにくいこと甚だしい。
歩行の地面を押す力が、砂に吸い取られ、通常の2倍ほどの体力を消耗するようだ。
10メートル近くの砂山を、やっとのことで登りきり、俺たちはさっきの駐車場までたどり着いた。

「ああ・・疲れたな・・」
「温泉でも行くか?」
「1時間もしない所に、湯村温泉があるで!」
「行こう!」「行こう!」
と話は決まり、数日前に寄った夢千代日記の湯村温泉に行くことになった。



夕暮れ時の湯村温泉は、鄙びて物悲しくて情緒たっぷりの風景だった。
川の近くのコンクリートの柵で覆われた源泉には、卵や野菜が網の袋に入れられて茹でられていた。
その源泉からは、温泉の湯気がもうもうと空まで立ちこめ、そこいらにいる浴衣姿の温泉客の姿もゆらゆら揺れているように見えた。
黄昏て青くなった空に、街灯がポツリポツリと燈った情景は映画の中の一場面のようだ。

我々は、砂丘の海水浴で疲れた身体を、丸い円形の湯船に浸し、「ぶふぁぁ・・・」と、またもや心地よい溜息を吐いた。
熱めの湯には、そんなに長くは浸かっていられない。
十数分もすると、皆、真っ赤な顔をして温泉から出てきたのだった。
もう、湯村温泉浴場から出てきた時には、空は夜空で無数の星星が点滅し、山中の清浄な空気で満たされていた。


帰り道を数時間も走り続けると、もう中部地方の懐かしい匂いがしてくる。
大山へ行った時とは大違いに満天の星空が、湯村温泉から岐阜までズッと続いていた。
途中まで一緒に走ってきた大沼さんが途中で瑞浪方面へ抜け、横井君や真野君も名古屋方面へと分かれていった。
我が家へ到着した時は、もう真夜中となっていた。
軽バンの側面に描かれたウサギとペンギンも、ほっと安堵の表情を浮かべているように見える。
真夜中の星空の下、そのウサギとペンギンに「サンキュー!」と呟いてみた。



おわり
  

風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その4

2007年11月24日

風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その1
風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その2
風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その3



風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その4

夕暮れ時になって、1日半遅れでコンサートは始まった。
飛ばされひん曲がった雨よけのテントは取り払われ、青空天井のステージとなった。
その青空もしだいに夕焼けに染まり、ライトに照らされたステージは幻想的な雰囲気に包まれている。
均整のとれた雄大な大山をバックに、ライブは深夜まで続けられた。
会場は、出店のスパイスの効いたカレーの香りやフライド・チキンの香ばしい匂いが時折風に乗ってフワリと漂い、どこか異国の情緒を醸し出している。
会場の中心部以外の周りは、いろいろな物を売るフリーマーケット市場と化して、さながらバザールの様相だった。
月明かりが明るく大山を照らし、エスニックなスパイスの香りが漂い、音楽は深夜にまで鳴り響き、ここが日本だとは到底思えない大山の麓だった。
俺はさながら異国にやってきた異邦人のように、このコンサート会場を楽しんだ。
そして我らの野外絵本屋・大山支店も、そこそこ繁盛し、野外の絵本屋もそう捨てたもんじゃないと思わせてくれた。



「そろそろ夕飯にでもしようか?」と中上さんが言ったので、俺も賛同した。
我々は、コンサート会場から2分程度歩いた、山林の中にテントを張り、夕食の支度をし始めた。
森林の中は無数のテントが張られ、ここも異国の風景が広がっているかのようだ。
そこここで、アウトドアの夕食の準備が始められ、食欲をそそるいい匂いが林の中に充満している。
「やっぱり、アウトドアには七輪やね!」
そう言いながら俺は、高山で購入した真新しい七輪に火を起こし始めた。
アウトドアに七輪があれば天下無敵である。
常時炭火が焚かれ、常にヤカンをかけておけば、いつも湯が沸いている状態で好きなときにコーヒーが飲める。
また、調理をするにも火力が携帯用コンロの比では無く、あっというまに料理が出来上がる。
飯ごうでご飯を炊くにも一定の火力が維持でき、うまいご飯が炊き上がり、電気炊飯器の米と同じ米とは思えない美味さである。
あるいは晩夏の夜に肌寒いときなど、この七輪の火で暖をとりながら話に花を咲かせるのも一興である。
かように七輪はアウトドアには万能で最適な道具であので、俺は心の中でいつもこう叫んでいる「七輪を発明した天才に、栄光あれ!」。

俺は、昼に買出しにいった食材を出しながら、今日の献立を考えていた。
旅をしたなら、地元のスーパーに入るのが一番賢い買い物の方法だ。
土産物屋や観光用の市場に行っては駄目だ。
観光客用の店は、値段が高いだけでなく地元の食材さえ無いことが多い。
土産物に至っては業者が一括して卸しているので、広島の特産品と称するものが岐阜で作られていたり、北海道の物産とあるものが台湾で製造されていたり、それはもう興醒め状態甚だしいと言わざるを得ない。
そんな旅の失望感を味あわないためにも、地元のスーパーに趣いて珍しい食材を物色するのが達人のメソッドというものである。
地元の小さなスーパーに有るものは、地元で頻繁に食されている食材がほとんどである。
魚介類などにいたっては、見たことも無いような海の幸が日常的に並んでいたりするが、そんな光景を見つけた時など旅の感動も倍増するのである。
野菜なども、まだ食べたことも無いような野菜を発見した喜びは筆舌に尽くしがたい!、と言うのは大げさではあるが、未だ食したことのない食品を発見した日には思わず購入してしまう衝動を抑えられない。
海岸沿いに特にそのような食材が多いと思う。
「旅人は地元のスーパーへ行け!」これは旅の黄金律といっても過言ではないと信じる。

食材だけに及ばず、ホームセンターなどの道具類にも同じような事が言える。
通常、平地の都市ではまったく使用しないような道具も、地元のホームセンターで発見できることがある。
雪深い土地では雪対策の道具が常備され、あるいは山深い土地では林業に関する道具類が所狭しと並んでいたりもする。
また、妙にひなびた地元の雑貨屋などを見つけたなら、恥を忍んで一寸覗いてみるのも良い行動である。
店の奥にヒッソリと埃を被ったまま死んだように眠り続ける昭和の道具達に遭遇する可能性も大きい。
昭和の時間が停止し凝固したような昭和の道具を発見した時など、使いもしないのに衝動買いし、後に後悔して落胆するのも旅の一部である。

そんな訳だから、名前も知らない未だ食していないような魚介類を七輪の網の上に乗せ、俺はジュウジュウ音をたたせながら焼いた。
魚の焼ける匂いと、醤油の焦げるいい匂いがテントの周りに充満して、いやがうえのも食欲が増大してゆく。
匂いに吊られてか大沼さんや中上さんの友人や、友人の友人が集まり始め、そこいらは一大調理場と化した。
各自、思い思いの食材を調理し、料理の美味そうな香りと煙が森の木々の間をユラユラと立ち上がってゆく。
森の中1人でジックリ孤独を楽しむアウトドアも良いが、こうやって大勢でワイワイ騒ぐアウトドアも、また楽しい。

飯盒がグツグツ煮えてきたので、逆さまにして蒸らす間に、魚や貝の海の幸を皿に盛り付けた。
カレーや味噌汁も出来上がったようだ。
「頂きます」の声もないまま、各自食事が始まってしまった。
誰だか知らないが皿だけ持ってきてチャッカリ食事をしている輩もいる。
こう大勢居ると知り合いだかそうでないか判らないのだが、まあ、お祭り気分で許してしまおう。


食事が済み、食器を洗い、腹の虫も一段落したなら、俺は持ってきたギターをケースの中から出した。
そうすると中上さんもすかさずギターを出し始め、これから盛り上がろうと考えているのだ。
こういう時にギターが弾けるというのは、とても重宝な才能であると思う。
どんな時にでも、ギターさえあれば退屈しない、そればかりか友人の輪も広がり、国籍すら超越してしまう。
本当に音楽、あるいは芸術というものは、人種や国籍を選ばないようだ。
70年代にラジオから流れていたロックやポップスは、ほぼ世界同時期で流行していた音楽である。
その共通の音楽を知っているというだけで、異国の人々に親近感を感じたりもする。

友人や友人の友人、友人の友人の友人が焚き火を囲んでのシング・アウト大会となった。
ボブ・ディランは言うに及ばず、70年代フォークの合唱の嵐となった。
誰かが「風に吹かれて」を歌い始めれば、誰彼ともなくハモッテしまう性分は70年代を生きた世代の条件反射というべきものだろう。
懐かしい音楽というのは、何故こうも盛り上がってしまうのだ?
よく軍歌で盛り上がる高齢の集団を見かけるが、あれは戦争が懐かしいのではなく「青春」を懐かしんで歌うのだろうと思う。
「青春の歌」というのは、死ぬまで心の奥底に住み続け、時には生きる活力ともなる。
そんな沢山の歌を記憶していることに感謝したい。
歌の音や歌詞の襞の間に青春の出来事が事細かに住み着いている、そんな気がして心が熱くなる夜だった。

深夜近くなると一人抜け、二人抜け、焚き火の周りは、残り少ない人数となっていく。
暗闇の森の中、炭の赤い光が各人の顔をユラユラと照らす。
焚き火の火も、チョロチョロと小さく燻ぶるような炎になっていき「もう寝ろ!」と催促しているようだ。
もう少し唄っていたいと言うような、心残りを感じながら我々はテントに入って寝た。
どこか遠くから聞こえる小さな咳払いの声が、森の静けさをより一層思い起こさせてくれるようだった。



台風でつぶれたスケジュールをこなすために、朝早くからライブが始まっていた。
夕べ騒ぎすぎでまだ重い眠い目をこすりながら、我々はテントから這い出し、顔を洗い、コンサート会場へと歩いていった。
会場への道を歩いて行く途中、あの転倒した黄色い軽のバンとすれ違った。
横のボディは凹んだままで、フロントガラスは全部取り外してあり風通しが良さそうだ。
パフッ!とクラクションを鳴らしたのは、あの助けた髯男だった。
髯男の顔を見て俺はニヤリとして手を振った、髯男はクラクションを2度パフッパフッと鳴らし、俺の横をゆっくりと走り抜けていった。

会場には朝も早いというのに、ステージの前はもう数十人の観客達がライブを聞きながら踊っていた。
俺と中上さんは、昨日に場所にまた絵本を並べ、お祭り最後のピースアイランドを開店させた。
相変わらずダダ見客が多い本屋ではあったが、楽しそうに中上さんは店をキリモリしている。
徐々に店を開く人達も増え、ライブの観客も大勢になっていく。

最終日のコンサートは、盛り上がりと共に物寂しいような雰囲気も漂わせていた。
思えば、岐阜くんだりから遠路はるばるこの祭りにやってきたのだが、一気に起こった数々の出来事が旅の思い出としてどのようにインプットしたら良いのだろう。
これらは、まさに「無駄に中に価値が隠されている」という、哲学的命題の実践バージョンなのかもしれない。
あるは「青春」は永遠であるとの天啓か?
まぁ、物事は成るべくして成り、在るべくして在るということかもしれない。

突然、ステージのライブとライブの間の短い間に、ステージとは逆の方向に観客が集まっていった。
ザワザワと何かを見学しているようだった。
「何かあるのですか?」俺は、観客の一人に聞いてみた。
「パフォーマンスとかやってるみたいですよ」
「へぇ・・どんな、ハプニングなんですか」
「裸で、若い女が踊ってるそうですよ」
「ヌード・パフォーマンスですか・・・見たいなぁ!」
黒山の人だかりで、肝心なパフォーマンスが見られないのが歯がゆい。
そうこうしていると、裸体の女が踊りながらこちらの方向に移動してきた。
観客がモーゼの紅海の海割れのように左右に別れ、その真ん中をサロメのように踊りながら白い裸体が現れた。
このような裸体パフォーマンスをやる女というのは、70年代の生き残りのような年配の女傑が多いのであるが、その踊る女は意外にも若い女だった。
夏の眩しい太陽光線に黒光りする恥毛が眩しくて、目のやり場に困るが、ついついその部分に視線の焦点を当ててしまうのが男の性というもんである。
その全裸でクルクル踊る女は、アメノウズメのダンスのパフォーマンスをやっているのだそうだ。
真夏の大山の麓、現代版アメノウズメは、天照大神を目覚めさせたのではなく、男たちの情欲を目覚めさせただけのようであった。
中上さんも、いつの間にか現れた大沼さんも、みんなストリップ小屋の客のような表情で、そのパフォーマンスを凝視してた。
「ナンマンダブ・・ナンマンダブ・・・・・良いものを見せていただきました」
俺は、思わず拍手を打ち、八百万の神々に感謝したい心持になっていたのだった。

全裸パフォーマンスが終わってしまうと、群集はまた元のステージの方へと移動していった。
一瞬の出来事ではあるが、旅の思い出としては鮮烈なイメージを残したパフォーマンスであった。

昼過ぎになると、最後のミュージシャンのライブになった。
それまで出演したミュージシャンがすべてステージに上り、この「命の祭り」の大団円が始まった。
それを知ってか、大山山麓は凉風がゆっくりと吹き抜け、えもいわれぬ心地良い自然のオーラに包まれていくようであった。

I see my light come shining
From the west unto the east.
Any day now, any day now,
I shall be released.

ボブ・ディランの「I Shall Be Released」の大合唱で、大山の支離滅裂で魑魅魍魎なお祭りは終わりを告げたのだった。



風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その5に続く  

風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その3

2007年11月23日

風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その1
風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その2



風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その3

輝く晴天の中、我々は目を覚ました。
雲一つ無い空と呼ぶのに似つかわしい、純粋な晴天である。
大山の山の清浄な空気も加味され、素晴しい朝となった。
早起きは三文の得と言うが、元々あの諺は「早起きしても二足三文くらいの得にしかならない」という朝寝好きの江戸っ子の諺であるらしい。
しかし、すがすがしい新鮮な空気に満たされた朝に包まれると、980円くらいの得をした心持である。

それから暫らくして、台風難民達のコンサート会場へと向かう民族の大移動が始まった。
だが大山の麓は温泉の宝庫である、こんな爽やかな朝に温泉に行かないという手はない。
朝湯に入って小原庄助を決め込み、湯船でぶふぁぁ~!っと叫びたいのである。
昨夜のネイティブ・アメリカンのメディスンマンの祈りの神聖な気分はどこぞに吹っ飛んで、俺はまた元の自堕落で能天気なニッポンジンに戻っていた。
「この近所に皆生温泉があるらしいぞ・・・」
中上さんが、俺に言った。
「おおっ!良いね!行こうぜ!」
という寸法で、早速皆生温泉目指して車を走らせ、ぐるぐると山道を下りていった。

台風一過の青空は、本当に目に沁みるような青さだ。
大山の山道は、昨日の荒れ狂う景色とはうって変わって優しい癒される風景であった。
オゾンとフェトンチッドに満たされた山道を走るピースアイランドの軽バンは、まるでボルシェにも思われた。
窓を開けて走れば、少し冷たい心地よい風が無精髭の頬をなでて無条件に幸せな気分に浸らせてくれる。
寝起きの重いまぶたはパッチリ開き、旅心は盛り上がる一方だ。

麓の道を走り、皆生温泉に近づくにしたがって、海の匂いが感じられるようになった。
潮の香りが、なぜか子供の頃の海水浴の記憶を呼び覚ました。
碁盤の目のように几帳面に通る道路に一見教会のような建築物があった。
それが海沿いの皆生温泉浴場だった、いわゆる銭湯のようなものである。
入り口で入泉料をはらい、温泉の匂いで充満した幸せな浴場へと急いだ。
皆生温泉浴場は意外に広く、大きな浴槽が真ん中にあり、お湯があふれんばかりに張ってあった。

我々は飛び込むかのように湯船につかり、「ぶふぁぁ~・・・」と溜息をついたのだった。
「嗚呼・・・愛しき日本人!」などと、自らの習性に感謝したい心持である。
昨日の台風の襲撃も忘れ、体中の疲れが消滅していく瞬間は、心の台風一過と呼ぶに相応しいのだ。

無言のまま湯船に浸かっっていると、湯気の中からぬぅ~っと現れた男がいた。
「おお!皆来とったんか!」一見アイヌ人のような面構えの大沼さんだった。
大沼さんは岐阜県瑞浪の陶芸家であり、俺や中上さんとは旧知の仲であった。
「いつ来た?」湯気で見え隠れする大沼さんに言った。
「さっき着いたばかりや!すごい台風やった」温泉好きなら朝一に温泉に行きたがるもんである。
「あの台風の中、走ってきたんか?」俺は驚嘆して言った。
人のことは言えないが、大沼さんの性格は無謀というか豪胆というか傍若無人な性格だった。
しかし、このような遠い場所で友人にバッタリ会ったりするのは、妙に素敵で愉快な気分である。
湯船で3人で、ナンダカンダと話に花が咲き、小一時間も温泉に浸かっていた。
手の皮が皺皺になり、湯当たりする寸前で温泉から出た。
外の空気は日本海の潮の匂いで旅情を掻き立ていたが、もう昼近くになってしまっていた。

「腹が減ったなあ・・・」中上さんが言った。
そういえば、昨日の夜の差し入れのオニギリ以降、何も口にしていない、腹が減るのも当たり前だ。
というわけで、食事をするために喫茶店に入ることになった。
遥々鳥取まで来て、喫茶店でカレーやスパゲティを食うなど無策にもほどがあるのだが、昨日から何も食べていない状況であるので、これも止むを得ない。

俺と中上さんと陶芸家の大沼さんの3人は、皆生温泉浴場の近くの喫茶店に入った。
案の定、鳥取とはまるで無関係なカレーやスパゲティを注文し、話の花を満開に咲かせたのだった。
喫茶店の窓から見える景色は、果てし無く続くのではないかとも思えてしまうほど一面の広いラッキョウ畑である。
日本海側の土地はラッキョウ栽培に適しているのであろう、おそらく日本海の北陸から中国地方の海岸はラッキョウ・ベルトと呼んでも差し支えないかもしれない。
ラッキョウ・ベルトは実在する・・・しかし実在した所で何の意味もないのだが、そんな光景を思い起こすと可笑しいような気分になり、人生が少しだけ楽しくなるというもんだ。
あのホムンクルスのようなコロポックルのようなラッキョウ達が、真っ直ぐに行進しいている光景をイメージしたなら、微笑ましいような気分に浸るのがノーマルな人の精神状態であると言えるだろう。
宮沢賢治の「月夜の電信柱」ではないが、ラッキョウ畑はさしずめ「砂漠の小人の行進」のようだ。
ドッテテ ドッテテ ドッテテド・・・・
ラッキョウは小さいから、トッチチ トッチチ トッチチト・・かもしれない。

こんなラッキョウ畑の話題で2時間近くも話が出来るなんて、我々はなんて能天気野郎で暇人なんだろう。
悩みのない人生が幸福であるのか?悩まないから幸福なのか?定かではないが、少なくとも人生の多くの時間を笑い転げるような馬鹿げた空想で過ごせる人は幸福だと断言できる。
物事は無味無感・無味無臭・何の色合いも無く、中立であり続ける。
そして、それらの事物は人の解釈によって悲劇にも喜劇にもなることは、古今の賢者達が口をそろえて唱えているが、あれは真実だ。
ただのラッキョウ畑も、想像力によって一つの荒唐無稽な宇宙を形成させてしまう。
・・・などと含蓄有りげにさせてしまうのも、旅の高揚した心の成せる技であろうか。



旅の友人が一人増えた我々のテンションは上がる一方だ。
大山のコンサートも今日は開催されるだろう。
コンサート会場へ向かう途中、ホームセンターやスーパーで食料やキャンプに使用する道具類や食料をそろえた。
妙にテンションの高い3人組は、平穏な日常生活を営む住民には異様に見えたかもしれない。
「大山椒魚の肉、売ってませんか?」
そんなありもしない事を、スーパーの店員に聞いている大沼さんを見た時は、俺は大笑いをしてしまった。
旅の恥はかき捨てと言うが、好んで恥を作り出すのは青春の特権と言うことで許していただこう。
恥を右や左にかき捨てながら、また、元来た山道を戻りコンサート会場へと車を走らせた。
麓近くの小さな雑貨店で、見たような人物とすれ違った。
我々は、車を急停車させ、その雑貨店に言ってみた。

「海で泳いどったら水母に刺されてまってよ、痛いでかんわ!キンカンあらへん?」
聞いたような名古屋弁が店の奥から聞こえてきた。
雑貨店の中は、店のオヤジの使う鳥取弁と名古屋弁がチグハグに飛び交い、意思の疎通が出来ているのか出来ていないのか怪しい雰囲気だった。
俺は後ろから声をかけた。
「よっ!」
名古屋弁の男は、ビックリしたようにこちらを振り返った。
「おおっ!あんたらも来とったんか?」
名古屋弁丸出しの男は、知人の3流ミュージシャンの横井君だった。
それに横井君の親しい友人である真野君まで、そこに居た。
「何時着いた?」
「昨日の夜や」
「台風は恐かったで!」
「あんたらぁも、命の祭りに来たんか?」
「そーや!」
「ほんとか、偶然やな!」
鳥取の辺鄙な雑貨店は、一瞬だけ岐阜弁と名古屋弁が交差する東海地方と化してしまった。
そして旅の仲間が2人増えた。


コンサート会場は、昨日一緒だった台風難民のヒッピー達で盛り上がっていた。
舞台は修復中で、まだライブは始まっていなかったが、お祭りの雰囲気は会場全体に行渡り高揚した気分にさせてくれる。
スキー場の殺伐とした風景の中に、屋台のような出店がそこここに出現し、あたかもどこか東南アジアの町の広場のようだった。
何を隠そう!と言ったりするが、誰も何も隠しちゃいない軽バンの中の絵本の山は、ここで絵本屋を開いてしまおうという中上さんの計画だった。
なんで岐阜県の山奥から、鳥取の大山まで来て絵本屋など開こうとするのか?
それは絵本屋の執念なのか?ただのお祭り好きなだけなのか?それはもう他人の図ることの出来ない絵本屋の店主の果てしない精神の産物であるのだろう。
また、そんなことを追求した所で誰も何の徳にもならないのが常と言っても過言ではない。
一見馬鹿げた事に隠れた真実が隠されているのかもしれない。

ピースアイランドの軽バンの扉を開き、何冊もの絵本を運び出した。
簡単に仕組まれたビニールテントが、ピースアイランドの臨時の大山支店となった。
俺たちは、運び出した絵本をビニールシートの上に、丁寧に並べた。
色とりどりの表紙で飾られた絵本達は、今日のこの冒険活劇のような野外の出店を喜んでいるかのようにも見えた。
標高の高い山麓とはいえ、夏の日差しは涼しいとは言いがたい。
台風が完全に過ぎ去った直後は妙に蒸し暑く感じて、そよそよとそよぐ僅かな風にも涼しさを感じたりする。
そうしてナンダカンダ本を並べているうちに、もっともらしい体裁の野外絵本屋が出来上がっていた。
ピースアイランド・支店第1号店・鳥取大山支店の開店である。
本を出した瞬間から大勢の人が集まり、大繁盛の兆しムンムンだった。
無理もない、コンサートはまだ直ぐに始まる様子も無く、手持ち無沙汰の家族連れや子供達がドーッと集まってきてしまったのである。
とはいえタダ見の客が多く、飛ぶようには売れなかったが、店主の中上さんは、それでも嬉しそうだった。
何故、彼が絵本屋をやっているのか判ったような気がした、炎天下の大山山麓である。



風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その4に続く・・・・   

風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その2 

2007年11月22日

風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その1



風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その2 

あまりにも悲惨なステージの状況を見ていると、我々もここにこうして馬鹿みたいに物見胡散で会場を見学しているのも危険に思われた。
暴風にあおられて、テントがクルクルと玩具のように回転しながら我々の車に向かって飛んでくる。
誰かがさっきまで差していた傘であろうか、吹き上げられた風に捕まって、カラスのように天高く舞い上がり、アッというまに見えなくなってしまった。
有無を言わさず、危険であった。
そんな能天気に台風を見学している我々にむかって、スタッフであろう髯面の男が後ろから声をかけてきた。
「こんな所に居たら危険ですよ!非難してください!」
「ああ・・はいっ、わかりました、今すぐ非難します。」
危険を促す男に向かって大きな声で俺は答えたが、その言葉さえ遥か彼方に吹き飛ばされたようだった。

髯の男は、乗ってきた派手な黄色の軽のバンに乗り込むと自分についてくるように叫んだ。
その黄色のバンの後ろについて我々の軽バンは避難を始めた。
轟々と容赦なく吹きすさぶ暴風雨は巨大な怪獣を髣髴させ、人間の無力さを思い知らしているようだった。
我々ピースアイランドの車は多くの絵本を積んでいるせいだろうか、強風に煽られても少し揺れる程度で、転倒する危険性は少ないように思われた。
しかし、我々の前を先導するスタッフの黄色のバンはそうでもないようだ。
時折吹く想像以上の強風にあおられ、グラッと車体が揺られて今にも転倒しそうだ。
数度の強風が連続して吹き荒れた瞬間、、グラリと揺れたかと思うと右側のタイヤが地面から離れ、黄色の車体がストップモーションでも見るかのようにあっけなく転倒した。
「ああああ・・・・・!」
そう叫ぶ暇もなく我々は車を止め、髯男の救出に向かった。

黄色の車体の側面はグニャリとへこみ、フロントガラスには蜘蛛の巣のような模様のヒビが入っている。
激しい雨と風が容赦なく我々を攻撃し、ずぶ濡れだった。
「おーい!大丈夫か?」
俺は恐る恐る車の中を見た。
呆然となった髯男が、ハンドルを握ったまま横倒しになっている。
「おーい!」そう叫びながら、ヒビだらけになったフロントガラスを手で叩いてみた。
男は、ハッと気を取り戻したようにこちらを見た。
言葉も無くこちらを見、顔面蒼白になりながらシートベルトをはずしている。
俺は横倒しになったドアを強風に煽られながらも何とか開き、彼の腕を掴んで引っ張り上げた。
大雨が小さな石飛礫のように顔に当たり、目を開いているのがやっとだった。
「大丈夫か?」俺と中上さんは髯男に向かって大声で叫んだ。
「だ、大丈夫だ・・なんとか・・・」そう言う男の額には、小さな擦り傷が出来ていた。
3人ともアドレナリンが大量に放出され、異常に興奮し、冷たさや痛みさえ感じていない。

男を転倒した車から救いだすと、急いで我々はピースアイランドの軽バンの中へと避難した。
そして車の中へ入り、ずぶ濡れになった顔を拭きながら気を落ち着かせた。
「・・・ありがとう・・・」髯男は蒼白な顔に少しだけ血の気を呼び戻しながら言った。
「ああ・・危なかったな・・・」中上さんが答えたが、俺は無言のまま少し笑った。
頬に赤みが差してきた頃、男は車の中を見回しながら言った。
「ものすごい量の絵本ですね!」
「岐阜の高山で、絵本屋をやっているんです」中上さんが答えている。
「ああ?ひょっとしてピースアイランド?ガンノスケさんのお友達ですね?」
髯の男は、主催者のガンノスケの知人であるようだった。
「それにしても、すごい絵本の山ですね・・・」また本の山をまじまじと見ながら驚嘆してように髯男は言った。
「この絵本の重さで車が倒れなかったのかもな・・」俺は笑って言って見せた。
「そうかもしれない」といった表情で2人は笑っていた。


少し落ち着き風も弱くなってきたので、我々は急いで避難場所へ車を走らせた。
男に案内してもらった避難場所は、大山の麓にある鄙びた小学校の体育館だった。
小さな体育館とはいえ、今の我々にとっては宮殿のような避難場所である。
先に避難している人々が大勢たむろしていて、さしずめ難民キャンプのような様相を醸し出している。
ある意味、我々も嵐からの隠れ場所を求める難民なのかもしれない。
金に余裕のある奴は、近所のペンションや旅館に避難したらしいが、我々のような貧乏人は体育館が分相応というものであろうか。

有難いことに体育館の入り口では、おにぎりとパンを配っていた。
避難場所としては至れり尽くせりと言うべきだろう。
体育館上空の空は暗雲垂れ込め、今だに台風の猛威にさらされたままだった。
ゴーゴーと呻る風は、体育館の中にも響いて不安な気分にさせる。
ずぶ濡れになった台風難民達が館内に散らばったように座り、体や顔を拭いている。
日本人ばかりではなく、アメリカ人や国籍不明の人々、所々に混じっているようだ。
中には羽飾りを着けたネイティブ・アメリカンの衣装をまとった人達もいた。



外はしだいに黄昏て、体育館の中は暗くなり、隣の人の顔も判別できない。
「電気がきていないのでローソクを使ってください!」
スタッフであろう人が大声で叫びながらローソクを配っている。
配られたローソクがあちこちで点灯し、大聖堂のように荘厳な雰囲気を醸し出している。
その光景は嵐からの隠れ場所に似つかわしい。
俺と中上さんも配られたローソクに灯を灯し一段落した気分になった。
真っ暗な体育館に点々と灯されたローソクの灯を見ていると、何か祈りの儀式でも行っているかのような雰囲気に見えた。
ゴーッと体育館の壁に吹き付ける風も、少しづつ弱くなってきたいるようだ。
疲れているのだろう、避難した台風難民の話し声もまばらで少ない。

ゆらゆら揺れるローソクの炎を見つめていると昔の出来事や未来の希望が見え隠れする。
ローソクの炎に照らされ、薄ぼんやりと見える中上さんや体育館の天井を見つめていると、今ここに居合わせた人達が前世からの友人でもあるかにように錯覚してしまう。
台風の中の体育館は、ローソクが無ければ宇宙空間に漂っているといってもよいほどの暗闇だ。
ローソクの灯火は、我々の太古の遺伝子の記憶さえ呼び覚まさせるかもしれないと思う。

唐突にネイティブ・アメリカンの太鼓の音が体育館に鳴り轟き、無口になった人達をハッとさせた。
ドコドコドコ・・・・ドンドンドンドン・・・・・・
心の奥底に響くような音色だった。
そして、祈りの歌が響き渡った。

スタッフが皆に呼びかけている。
「メディスンマンのロバートさんが、我々の旅と我々の未来を祈ってくれるそうです。」
「皆さん!ローソクを消してください!」
そう言われるがまま、我々はゆらゆらと揺れるローソクに息を吹きかけ、フッと炎を消した。
周りは漆黒の闇が訪れ、自分の手の爪さえ見ることが出来ない。

大小のドラムの音が鳴り、メディスンマンの祈りが始まった。
真っ暗の闇のなか、音だけが動物のように動き回っているようだった。
時折、蛍のような緑色の光が体育館の上空を飛びまわっていた。
しかし蛍の光ではない、まるで線香花火がパチパチとはじけるような緑の光だった。
あれはいったい何んだったんだろう・・・・
ネイティブ・アメリカンの祈りの儀式には、不思議な現象がつき物だと言う。
あれも、その現象の1つだったのか?
今は、深く考えるのは止めよう、この祈りの瞬間に浸っていよう・・・そう俺は思った。

数十分のメディスンマンの祈りが続いた。
意味も無く安らいだ気分だった。
知らない間に風がやんでいた。
知らない間に台風は過ぎ去ったようだった。
この僅かな間の平和を、神に感謝したい気持ちになっていた。

我々は、そんな気持ちのまま外に出た。
オゾンで満たされた空気は、命と心を蘇えらせてくれる。
台風一過の夜空は、銀河の星々が燦然と輝き、我々が宇宙の一員であることを教えてくれているようだった。



風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その3に続く  

風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その1 

2007年11月21日



風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その1 

1990年岐阜の町は、台風19号に襲撃されようとしていた。
岐阜県のみならず、日本全土が19号台風に飲み込まれる前日であった。

しかも1990年といえば、昭和ではなく平成である。
昭和青春画報には似つかわしくない事はなはだしい!
岐阜県に「平成(へなり)」という地名があったが、市町村合併の嵐の吹きすさぶ真っ只中、まだ存在しているのであろうか?
「渡る世間は鬼ばかり」は「へなりかずき」であったか?「えなりかずき」であったか?・・・・・
・・・・んな事はどうでもよいのだ!
話というものは、それるというのが人生の常というものである。

1990年夏、鳥取の大山(だいせん)の麓で大規模なコンサートが開催されようとしていた。
コンサートの名は「いのちのまつり」と呼ばれていた。
ヒッピーもどきの連中が大量に押し寄せ、三日三晩踊り明かすという荒唐無稽で非常識なお祭りライブ・コンサートだった。。
俺は、飛騨高山で絵本専門店を経営している中上さんと、そのコンサートへ急遽行くことになってしまった。
深夜に高速道路をぶっ飛ばして、次の日には大山に到着しようという算段だった。

その日の深夜に中上さんは、俺の家にやってきた。
軽自動車のバンの横には、「子供の本屋・ピースアイランド」とロゴが書いてある。
両脇には、ウサギとペンギンの絵が呑気そうに踊っている。
荷台には、信じられない程の大量の絵本の山が積んであった。
後になって、この大量の絵本が我々の命を救うことになろうとは、まだ知る由もない。

それから俺たちは、その軽バンのハンドルを握り、名神高速道路をぶっ飛ばしたのだった。
まだ台風19号は上陸はしていないが、風は徐々に強くなっているようだった。
少しばかり強い風の中、我々のボロい軽バンは大量の絵本を積載したまま、一路鳥取の大山へと向かった。
高速道路には行きかう車も少なく、雨粒が道路に跳ね返り、霧のように道を曇らせている。
風雨の強さが台風の接近を感じさせるようだ。
フロントガラスに当たる雨粒が、しだいに大粒になってくるのがわかる。
ヒューヒューと、密室の自動車の中でも外の風の音が聞こえてくる。

米原にさしかかったころ、中上さんが独り言のように言った。
「太平洋側は、風は大丈夫やろうか・・?」
俺も、独り言のようにつぶやいた。
「暴風雨かもな・・・・」
そう言った瞬間に、俺は急遽北陸自動車道の方角へハンドルを切った。
我らのボロ軽バンは方向を変え、名神高速道路から北陸自動車道へと走っていくのだった。

案の定、日本海側の雨風は、まだ強くなかった。
ヒューヒューと風の音はしていたが、まだまだ台風の影響は少なかった。
誰も居ない道路を深夜に走らすのは、寂しさと爽快さがミックスされ、奇妙で不思議な気分にさせられる。
ましてや見知らぬ土地を深夜に走るのは、不気味ささえ加味されエキサイティングであった。

遠くに見える家の明かりは、深夜放送を聴きながら受験勉強をする高校生でも居る家の明かりだろうか。
あるいは、さっき息を引き取った身内を見取りながら泣き崩れる人々がいる家の明かりであろうか。
深夜の暗闇の中に描かれた妄想や空想が、切なさや寂しさを引き連れてくるようだった。
時折、ヘッドライトに映し出される木々が、風に揺られて妖怪のように見える瞬間がある。
いや、あれは風に揺れる木々ではなく、本当の妖怪だったかもしれない・・・
見知らぬ土地の暗闇には、見知らぬ精霊が宿っているかもしれない。

休むこともなく見知らぬ日本海の道を走る我々は、何かの道を究める求道者のようだった。
カセットテープから流れる音楽も、なんだか祈りの言葉のように聞こえた。
何のためにここまでやって来たのだろう・・・そこまでして、それを成す意味があるのだろうか?
意味は無い!
価値もない!
無駄でさえある!
そうだ、それが青春というもんだ・・・しかし、我々の年齢は、すでに青春という時期を過ぎて久しい。
だが、しかし、それでもやっぱり青春と呼んでしまおう!
誰にはばかることもなく・・・!

我々は、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を大声で歌っていた。

The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

こんな歳になってしまっても、まだ風の中の答えを見つけ出せないでいるのか。
「完結されない寓話、完成できないファンタジー、それが青春というものなのか?」と、台風に向かって叫びたい呆れて物も言えないくらい良い気分だった。



東の空が、薄っすらと明るくなってきた。
朝焼けの神々しい光が空全体を覆い、町や木々や道をヴァーミリオン照らし出していく。
すべての過去が新しい価値観に更新され、開放された心が希望に満ち溢れる瞬間である。
・・・となれば最高なんだが、しかし、それはなんというか台風が接近中の天候である。
雨交じりの曇った空が、じみじみと白みかけ、じみじみと明けてゆくばかりの地味な朝だった。

心洗われる朝焼けでも拝めたなら疲労も吹っ飛ぶものを、こんな朝では疲労感が重くのしかかるだけだった。
信号無視はする、法定速度は守らない、超ハードなドライブだったため肉体疲労がピークに達していた。
嵐からの隠れ場所でもないものかと考え、地図を広げた。
当然、それは温泉を探している他に考えられない。
山陰海岸から山間部に向かい、我々は湯村温泉へ行くことに決定した。

湯村温泉といえば、あの、死ぬ死ぬと言いながらチットモ死なかった吉永小百合・主演の「夢千代日記」の舞台となった温泉である。
風情のある簡素な温泉街であり、どこか懐かしささえ感じる町並みだった。
銭湯のような薬師湯の前では朝市が開かれ、我々は胡瓜と茄子とトマトを買った。
薬師湯の温泉の湯は熱く、疲れが温泉の湯とともに流れていくよな心地よさだった。
こんな時こんな温泉に入ったならば、日本人なら必ず「ぷふぁぁ~!」と叫んでしまうものだ。
「ぷふぁぁぁ~~・・」我々も当然のことながら、心地よいため息をついていた。

若いという字は苦しい字に、似てはいない!むしろ楽しいと言う字に似てほしいものである。
温泉で体力を回復した我々は、一路鳥取の大山へと車を走らせたのだ。
鳥取の砂丘を右に見ながら、ルート9号線をひたすら走っていく我々の目に映し出されたのは、果てしなく広がるラッキョウ畑だった。
細い葱のような葉が一直線に何列も続くラッキョウ畑に、我々は人類の明るい未来を感じたものだ・・・って、こんな時そんな事考えるわけもない。

なんだかんだと言っている間に、まるで富士山のように均整のとれた大山の稜線が目に入った。
台風も徐々に接近し、風が勢いよく通り抜ける道路には行き交う車もまばらであったが、大山の雄大なフォルムを目にした時、ちょっとばかり安堵の気持ちが湧き上がってきた。
しかし、雨も次第に大粒になり、激しく容赦なく横殴りに降ってくる。
ヒューヒューと呻っていた風も、ゴーゴーという塊のような風圧を感じさせる風に変化していた。
時折、突風のような風の塊に、ボロ軽バンがユラッと揺れる。

「おお!すげーな!」
揺れる車を感じながら、中上さんが言った。
「こんなんで、本当にコンサートやっとるんかい?」
俺は、半信半疑で言ったのだった。
突風の影響で、瀕死の駄馬のように走る我らの軽バンは、大山の山道を、あまり軽快とも言えないスピードで走っていく。
両脇の森の木が、苦しく呻っているようだった。
大量の雨粒の攻撃でフロントガラスも滝のようになってしまって、前もよく見えない。

岐阜ナンバーの、のろのろ走る我々のスピードに苛立ったのか、赤い洒落たスポーツタイプの車が勢いよく我らの軽バンを追い抜いていった。
そして、すぐさま視界の悪い強風の中に消え去っていった。
台風のような風圧の強い風は雨を伴なって、自らの風の形態を人間の目にも見えるようにしてくれる。
雨粒が風にへばり付き、風の行方が目に見えるのだ。
渦巻く風雨は、まるで怒れる龍のように森と森の間を飛び去ってゆく。
我々人間は成すすべも無く、そんな自然の猛威をただただ眺める他に手はない。
そんわけで我々岐阜県民2人は、しばらくの間ボロ軽バンを停止させ、少しでも風がゆるくなるのを待った。

大山の山麓は迷路のようで、地図を見てもサッパリ判らなかった。
大きな道路を主に、細い道が毛細血管のように、あちらこちらに張り巡らされているようだ。
松林が多く、松茸でも取れそうな風景が山頂付近まで続く。
仮眠を取りながら、1時間以上待ったが、そんなに風雨はゆるくはならなかった。
「仕方がないな、行くか?」の中上さんの一言で、意を決して山頂近くのコンサート会場へおもむく事に相成った。

ぐるぐる山道を走っていくのは妙に心細い、ましてや台風のさなか、いったい何を好き好んでこんな事やってるのか、そう自問自答したくもなる状況である。
林と林の間の細い道を走り抜ける瞬間、赤いスポーツカーが道からはみ出し、横転しているのがチラリと見えてしまった。
「あっ!あれさっき追い抜いていった車じゃねーの!?」
中上さんが、後ろを振り返りながら、俺に言った。
「おお!そんな感じやったぞ!」
たぶん、強い突風にあおられ転倒してのだろう。

「助けるべきかな・・?」
「いや、やめとこう!」
「血まみれの死体だったら嫌だしなっ!」
「首とか千切れてたりとかなっ!」
「内臓破裂で、車の中がグチャグチャとかな・・・」
などと妄想を脹らませながら走っていたので、転倒した車など陰も形も見えない遠くへ走ってきている。
「まぁ、見に行くのは無理だな・・」と、結局ほったらかしにすることに決定した。
この強風のさなかである、二次災害ということにもなりかねない状況でもあったので許していただくことにした。


我々の車は、細い曲がりくねった山道を登りながら、雨にも負けず突風に吹き飛ばされることもなく、コンサート会場の駐車場に到着した。
こんな暴風のなか、ヒッピー風な人やそうでもない人々が大勢たむろしている。
もう夕方近くになってしまっていた。
妙に皆ざわついていて、コンサートをやってるような気配もないようだ。
車に書いてある「ピースアイランド」の名前を見て、中上さんの知り合いらしき人物が声をかけてきた。
今回のコンサートの主催者のガンノスケである。
「今着いたんですか?」
「昨日の夜出発して、さっき着いた!」中上さんは答えた。
皆がざわついているのが気になって、男に聞いてみた。
「コンサートは中断してます・・」
この暴雨風雨にの悪天候である、当然であるといえば当然であった。
それにしても、この大勢の人々はどうしてしまったというのであろう。
「今、避難場所を確保しようと、どこか探してるので、もうちょっと待って・・。」
ガンノスケは、あわてた様子でそう言って、どこかへ消えていった。

この群集と言べきか避難民というべきか、どうも台風の影響でどこかへ非難している途中のようであった。
しかし、避難場所も確保できない状況のようで、皆どこにも行けず右往左往しているのだった。
「やっぱなぁ・・・」俺はつぶやいてしまっていた。
「この暴雨風雨の中、コンサートは無理やって・・・・!!」
そう言いながらコンサート会場を、風雨吹き荒ぶ中、2人は会場を見に行ったのだった。

ゴォー!!っと地響きをたてながら、広いコンサート会場を飲みこみ暴風雨がのた打ち回っていた。
2人は「アッ!」と驚いたのだった。
舞台にセッティングされたテントは吹き飛ばされ、支柱となる鉄柱は雨細工のようにグニャグニャに折れ曲がって、見るも無残なステージの有様だった。
台風19号は、そんな事など容赦なく、雨と風を引きつれ大山の上空を荒れ狂っていたのだった。



風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その2に続く

*この小説は事実を元に若干脚色して書かれています。
飛騨高山の絵本屋さんは、ここのことです。